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| つれづれ独言 |

このHPは、リンク集にある製作会社により作られました。 中身は私が書いたもので、文責は私にあります。
製作に当たっていろいろアドバイスを受けましたが、原稿、資料を渡して、 全ておまかせにしたので、出来上がってびっくり、 イメージしていたものと違う、ずいぶんハイカラなものになりました。
あらためて見直して、舌足らずな説明文も多く、お知らせしたいこともあり 今後、時間をかけて、少しづつ中身を改めて、新しい情報も発信していくつもりです。
アドバイスのひとつが顔写真の掲載でしたが、断りました。 どうしてもという方は、リンク集”四日市歯科医師会”HPの一番上をクリックすると、 ・・・・見ないほうがよいと思いますが・・・・こんなもので悪しからず。
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| ◇お犬様・・・ |
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冬至の近づいたこの時季、お犬様と家を出るのは、たいてい日の出る前の白々明けです。 そとの景色は、日没後のたそがれどきに似て、全体に薄青いろに染まっています。
今日の目的地は鵜ノ森公園で、紅葉したケヤキや桜、カエデ、エノキ、ハナミズキなどの下は、数日前の木枯らしのせいか、ずいぶん落ち葉がちり積もっています。 それでもハクモクレンの葉のあいだでは、柔毛に覆われたおおぶりな芽がもうだいぶ膨らんでいます。 公園の中は高木が多く、全体にうっそうとしていますが、いつの間にか日も出たようで、木々の向こうにみえる高いビルの上のほうが、日を受けてまばゆく金色に光っています。
散歩コースが鵜ノ森公園になるのは、たいてい前夜お酒を飲んだからで、そのあたりの知り合いのところに、飲酒前に車を置かせてもらって、翌朝車をとりに行く、という事情があるわけです。
夜は当然、徒歩での帰宅で、この時季は星がきれいに見えて、よく観察でき、覚えのある星座を確認するのは楽しみです。 日のある間はいくぶん暖かくても、夜になるとどこに潜んでいたのか凍えるような寒気がおそってきて、家に着くころには、寒さになれてない身体はすっかり冷えて、酔いも醒めてしまっています。
ところで、お犬様は小型室内犬で、散歩から帰るとかるく身体を洗うのですが、雨の朝は気が滅入ります。 雨の散歩のあとはドロだらけで、いやがるお犬様を押さえつけて徹底的に洗います。 ドライヤーも嫌がり、ろくに乾かないうちにすり抜けて、逃げ回ってじゅうたんに身体をこすりつけます。 捕まえてドライヤー、またすり抜けて・・・、この繰り返しがけっこう疲れます。 このごろは洗う負担を少なくするのに、雨の朝は足先から頭のフードまで一体になったカッパを (これもけっこう抵抗するのですが)着させてお出かけです。 それでもカッパのすき間から入ったドロを洗ってドライヤー、すり抜けて、捕まえてまたドライヤー・・・、雨の朝のお決まりです。
ウチのお犬様は人が好きで、誰かれかまわず近寄ろうとします。 特に犬好きの人は判るのか、シッポを振って顔を見あげてなにかを期待するようにすり寄っていきます。 もちろん何もないわけですが、それでも遠ざかる人を名残り惜しそうに何度もふり返ります。
その代わりといっては何ですが、生後すぐに親犬から離されて、兄弟とあそんだ経験がないせいか、犬が苦手です。 散歩中、ほかの犬が親しげに近寄ってきても、クンクンとハナで嗅ぐしぐさを少しみせるだけで、すぐに私か相手の飼い主のうしろにまわって隠れます。 相手が大型犬のときは醜態をみせます。 すれ違うさいにパッと私のうしろに隠れ、遠ざかって安全圏を確認してから、威嚇するようにはげしく吠えるので、大型犬がなにごとかと、きょとんとふり返ります。 けっこうバツが悪いのですが、親バカ(飼い主バカ)で、なんとも情けない、そんな気の小さいお犬様がいじらしくなるのです。
2007年11月某日
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| ◇伊藤先生 |
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母校の先輩で、同じ四日市で開業されていた、伊藤先生が逝去された。
弔辞
大暑のみぎり、伊藤勝雄先生の突然の訃報に接し、痛恨の想い深く、謹んで四日市歯科医師会を代表してご霊前に哀悼の言葉を申し上げます。 伊藤先生は、昭和20年秋田市で、歯科医のご長男としてお生まれになり、昭和45年神奈川歯科大学を卒業され、母校の放射線教室に勤務、そして昭和53年四日市の奥様のお父上の歯科医院を継承されました・・・・・・・
* 先生が卒業されたころは歯科医不足で、大学から小一時間かかる障害者施設”長沢学園”から、大学病院に診療の依頼があっても、歯科医の割り振りができませんでした。 そんな中、先生は進んで診療に赴かれましたね、時として重度の障害を抱えた患者さんに、大きな麻酔を必要とされ、麻酔科の後輩をくどいて連れて行かれましたね。
のちにその麻酔科の先生は、九州で日本で始めての障害者専門の小児歯科を開設され、九州はもとより沖縄や遠く離れたところから、障害を持った患者さんが家族に付き添われて、連日多数来院されている様子の載った情報誌を、25年前私に見せて云われましたね、「緒方君はりっぱだね、尊敬する。僕はここまでできないね。」 でも先生、緒方先生は長沢学園で、先生が障害を持つ方への治療に注がれる熱意に打たれ、そうした先生のうしろ姿を見てきて、ああいった診療態勢をとられたと思いますよ。
先生は四日市に来てからも、障害をもつ子供たちの通うキララ学園や聖母の家で、長年にわたって熱心に検診や指導を続けてこられ、公衆衛生の分野でも富田幼稚園で、歯磨き指導やフッ素洗口を20年以上続けて、記録に残されていましたね。
またこれも20年以上前から、皆があまり目を向けてこなかった、障害者の方や病気の後遺症の残る方が、うまく食事が取れず、食べるはなから口からボロボロこぼしたり、飲み込むさい、食べ物や飲み物が食道でなく、誤って肺に入って肺炎を起こす患者さんに接し、摂食嚥下の指導も始められましたね。 最近になって、厚労省も介護の食育の分野で、摂食、嚥下障害に取り組み始めました。 先生はとっくにやってましたよね、まさに先見の明がありました。
こんなこともありましたね、10数年前、同窓会の代議員を先生から引き継いだとき、支給される代議員会の出張旅費、宿泊費の請求方法が分からず、お聞きしたことがありました、先生は、「いま同窓会はあまりお金がないと聞いている、だからボクは一度も旅費や宿泊費を請求したことがないんだ。」、私にもそうしろとは言われなかったけど、先生の意を汲んでそうしましたよ。 先生はそうやって、いつも困ってる誰かや組織のために、いま自分に何ができるかを考えて行動される方でしたね。 この間の代議員会で、知り合いの役員から「三重県から旅費の請求がないのはどうしてか。」と、尋ねられたときに伊藤先生の話をしましたよ、三重に先生のような先輩がいることに少し鼻が高かったですよ。
四日市歯科医師会の代表になって、初めて弔辞を述べるのが、まさか尊敬する先輩の伊藤先生になろうとは思ってもみませんでした。 私は伊藤学校では劣等生でした、よく先生にたしなめられました。 昨日のお通夜にお顔拝見しました、3週間ぶりですね、眠っておられるようですね、先生、トレードマークの眼鏡どうされました? そちらに行かれて、眼鏡がなくて不自由ないですか、大丈夫ですか? 「あのね、アサノ君、こちらでは眼鏡がなくても大丈夫なんだよ」、またたしなめられそうです。
今日の祭壇のお写真、お気に入りでしたね。 昨年1月、津での同窓会で、進行性ガンであることを告げられた先生の、いまとなっては最後の症例発表は、30年近い診療の膨大な数の症例をスライドで示されたもので、どれもすばらしく圧倒されました、その後ご自宅にお送りする車の中で、「来週、名大病院で胃を全摘してもらうんだ、その後の抗がん剤で髪の毛が抜けるので、子供たちを呼んで写真屋さんに来てもらって、記念を残そうと思ってるんだ。 だから床屋さんに行ってきたんだよ。」、はにかんだように云われましたね。 先生のガン治療はオーダーメイド医療ということで、TV番組「ガイアの夜明け」で、手術前からお仕事に復帰されるまでが、1時間にわたって放映されましたね。 退院されても、抗がん剤は続けられ、やはり髪の毛はだいぶなくなりましたが、すでに出来上がってたいくつかの写真をみせて、「これが一番気に入ってるんだ、何かのときはこの写真を使ってもらおうと思ってるんだ。」、今日のお写真がそれでしたね。
今年の春先に、ガンの転移が見つかったと知らされたとき、いくらか覚悟はしていたとはいえショックでした。 覚悟を決めた責任感の強い先生は、体力の落ちる再手術や抗がん剤を拒否され、残った患者さんのけじめをつけるべく、ぎりぎりまで診療されましたね。 何度も腹水がたまり、胸水までたまるようになって入院され、「お医者さんは云わないけれど、どうやらもう家には帰れないようだ。」、病室から電話をいただいたのは1ヶ月前でしたね。
3週間前、お見舞いに伺ったけれど、疲れさせてはいけないと手身近に切り上げようとするのに、患者さんのこと、障害者歯科センターのこと、歯科医師会のこと、同窓会のこと、ご家族のこと、次々と気にかかる人の名前を挙げて話され、なかなか帰そうとされませんでしたね。 そしてポツリと、「じつは全身に転移していて、12時間ごとにモルヒネを打ってもらってるんだ。 それでも痛くてね。」、返す言葉がなかったです。 「結局、ボクは患者さんや歯科医師会のために何もしてやれなかった、役に立たなかったね。」、なにを云ってるんですか、つい大きな声を出してしまいました。 12年前、四日市歯科医師会館に障害者歯科センターが起ちあがったのは、先生の熱意が通じたものだったし、年長の先生が若い歯科医や歯科衛生士の意見にしずかに耳をかたむけ、適切な提案や助言をしてきたことは多くの者の中に浸透していますよ。 ご自分の生の終わりをしっかりと覚悟されている先生に、病室を去る際、「はやく元気になってください、」と、声をかけられなかったつらさを解ってください。
お話したいことはまだまだいっぱいあるけれど、先生、もうお別れのときが来たようです。 先生に教えていただいたことを胸に、壁に当たったときも、伊藤先生ならこんなときどんな行動をとるだろう、どんな助言をいただけるだろう、そう思いやって前向いて歩んでまいりたいと思います。
・・・・・・生前の先生の良きお人柄を追慕し、在りし日の御遺徳と御業績を讃え、謹んで惜別の言葉といたします。
平成十九年七月三十日
社団法人 四日市歯科医師会
会長 ・・・・・・
伊藤先生、長いあいだありがとうございました。 さようなら
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| ◇B子さんのこと |
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診察室に入るのをいやがる子供の手をひいて、「ちゃんと診てもらうのよっ」、 「泣き虫で迷惑かけます、おねがいします。」と、云う母親本人の幼かったころ、治療をしないうちから、泣いて暴れて手をやいたのを、 ほほえましく想いだして、苦笑することが、・・・・・長年やっていると、そういう場面に出くわすことが、ママあります。
なにかの拍子にふっと、むかし診た患者さんを想いだすことがあって・・・。 それは、すでに亡くなられた方であったり、上のような母親の幼かったころであったり、なにかしら印象のつよかった患者さんであったりします。
工場で働くB子さんが初めて来院されたのは10数年前で、治療いすに座ったB子さんは、仕事の汚れのついた古びた作業服で、ボサボサ髪の頭をうつむけたまま、消え入るような声で、「・・・噛めない・・・」 ボソリと言われたきりでした。 小柄なB子さんに、顔を近づけて根気よく話しかけると、ようやく「歯医者は・・・20年ほど前・・・だんだん歯が抜けて・・・噛むところがない・・・」 うつ向いたまま、やはり聞き取れないほどの声で、ポツリポツリ話されました。
歯のないせいで、口元が皺みがちではりがなく、年令より老けて見えます。 お口を拝見すると、ほとんどの歯が抜けおちて、ほら穴のようになったところに、汚れのびっしりついた数本が、むし歯のまま残っていました。 むし歯を修復して、義歯を入れ、なじむほどに調整する治療の経過は、通常のものでした。
目を見張らせたのは、治療の進むうちに、B子さんの身だしなみの変わっていくようすで、 作業服で来院されることはなくなり、こざっぱりした服装で、いつしか髪は短くセットされ、義歯の入るころにはお化粧もバッチリ、口紅までひいて (治療の際に困るんですが) みえました。 相変わらず消え入るようなちいさな声ですが、恥ずかしそうに上目がちに、 時おり笑顔を作って、こちらを見て話されるようになりました。
このように治療の進むうちに、明らかに身だしなみや態度の変わっていくケースは、多くはありませんが、経験することはあります。 長いあいだ放置されていた方がほとんどで、思うに、気にかかっていた煩いが解決すると、ほかのところにも気が回るようになり、なにかしら自信がついて、表情や態度まで変わっていくようです。
B子さんが印象に残っているのは、変わりようが極端だったのと、私と同年だったからで、同年輩で年より老けてみえる方に接すると、私自身が鏡を見ているようで落ち込んでしまいます。 すっかりイメージチェンジしたB子さんは、よく見ると小柄な可愛らしいオバちゃんでした。
手遅れな状態にならないようにと、定期的な検診を進言して、10年ほどは定期的にのこった歯の清掃や義歯のメンテナンスにみえてましたが、ここ数年、来院されてません。 他の歯医者に通われているのならよいですが、放置されているのなら、取り返しのつかないことになっているのでは・・・、10数年前のあの状態に戻っているのではと・・・、なにかの拍子にボサボサ髪のB子さんを、ふと想いだすことがあるのです。
2007年 7月某日
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| ◇司馬遼太郎記念館 そのA |
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・・・ここからは、下の”その@”の続きになります、だらだら書いて長いものになってますが、なんとか記念館にたどり着けそうです。 ・・・仕事柄の悲しい習い性で、無意識に話す人の口元を見つめてしまいます。 ”座談の名手”といわれた司馬でしたが、晩年NHKの対談番組で、おなじみの白髪の顔がアップになった時、話すたびにその口元の前歯が微妙な動きをするのに目が行き、入れ歯が合ってないのは明らかで、「あれじゃ食事もおいしくないだろ、近くの歯医者!何とかしてやれよ!」、よけいなおせっかいを焼きたくなったのも当時の思い出です。
林のひらけたところの安藤忠雄設計のコンクリート打ちっぱなしの記念館は、採光に工夫が凝らしてあって中は明るく、展示物は少ないものの、地下から二階まで吹き抜け三層のかべ一面に20,000冊の蔵書が収められているのが訪れる者を圧倒します。 司馬には収集癖はないのか、そのつど大量に処分したそうですが、それでも自宅の蔵書を含めると40,000冊が残っているとのことでした。
・・・蔵書の数そのものに興味はありませんが、書斎の近いところにいつもおかれていた辞典、辞書が500冊というのは、プロとして書くものの正確さに、いかに気をつかっていたかが分かって、 しろうとの勝手な独り言とはいえ、ろくな資料もなく、いいかげんに書いて、こうして晒しているのは気恥ずかしく、うしろめたい。
・・・執筆にあたって、その人物や歴史の動きについて、取材やぼう大な資料など、もっている豊富な情報を、咀嚼し、消化した結果を”個人的に解釈”して仕上げた作品の中身は、「司馬史観」として、非難や賞賛を受けましたが、 それについて司馬が自分の作品を、あえて吉川英治の宮本武蔵と同様の「フィクション」である、としたのは、かしましい批評にうんざりだったのでしょう。 ただ、たしかに竜馬や空海や継之助や秋山らのことは、司馬の記してきたものがその人物像として、自分のなかに残っています。
余談ですが・・・、 ・・・恵那山を遠くに望み、峠からくだる周囲の家並みや石だたみなど、当時にちかい風景がのこり、出生地でかつ「夜明け前」の舞台になっている、馬籠の、藤村記念館とその良し悪しを比べるのは、活躍した時代のちがいや、最近まで司馬の生活の場であったことや、また観光客をあてこんだ町の事情もあり、イミないですが、 ほかに作家の記念館を訪れたことがないので・・・
司馬のそこは、ハード面こそ、高名な設計家の手になるセンスある建物が、周囲の景色と調和していますが、ソフトのほうは、生前のビデオや売店や例のかべ一面の書籍のほかは、いかにも展示物が少なく、ゆかりの品も見当たらないのは、記念館としてはもの足りなく、さびしい。
雑木林然とした庭は、その生前、夏に茂る雑草もあまり抜かず、秋から冬も落葉のままに任せていたそうで、司馬の好んだ、そんな自然のたたずまいや記念館の展示空間に接して、なにかを感じ取れればよいでしょう。
少ない展示物のなかに司馬の原稿があって、判読しがたいところもある、くせのある字で書いたもののうえに、緑や赤や黄や青の色えんぴつをつかった、塗りつぶしや書きたし、さらに黒色で矢じるしや囲いをつかった、新たな書き込みのふんだんにある原稿の、原文がすっかり変わるほどに、校正ギリギリまでかさねたらしい推敲の跡は、圧倒的で迫力に満ちています。
・・・その原稿は、カラーコピーされた直筆原稿と印刷したものが一冊に製本されていて、売店にあるものを求めましたが、「21世紀に生きる君たちへ」と題して、小学6年生の教科書用に書かれた原稿用紙10枚ほどのもので、ほかに緒方洪庵について、やはり同じくらいの紙数で書かれていますが、読み手の対象がいつもと違ったせいか、仕上がって編集者につたえた司馬の弁は、「長編小説を書くほどのエネルギーがいりました。」
藤村記念館を訪れたのは、だいぶ前ですが、広い敷地に祖父の隠居の家や蔵が残っており、当時のその地方の生活ぶりをあらわす道具、衣装、通行手形、本人や維新の頃のこの宿場の変化を記した年表や資料、そして原稿や色紙も豊富に展示されていて、広い庭の田舎らしい感じなども、記念館として好ましかった印象があります。
島崎藤村のそれは、くずさない、ていねいな字が、一字ずつけっしてマス目からはみ出すことなく、几帳面に原稿用紙を埋めていて、修正部分もわかりやすいのは、編集者を困らせなかったに違いなく、生まじめな性格が、その原稿からにじみ出ていたのが、印象として残っています。
・・・むかし、なにかで得た情報の不確かなうろ覚えですが、藤村は「若菜集」で注目を浴びたものの、詩では喰えず、生活のために「破戒」を書いて、それが絶賛されてのち、小説家としても名をなしたようですが。 (啄木も同じ理由で、小説を書いたが、不評で売れずに、貧困生活が続いた。)
・・・解ったふうに書いてますが、藤村のは代表作の小説2つきり読んだだけです。 詩集のほうは、私に詩ごころがないのと、ちらりと見た 「まだあげ初めし 前髪の・・」 若菜集などは,女性らからブーイングを受けるでしょうが、さだまさしや「神田川」や渡辺淳一や「マディソン郡・・」と同様、どうにも馴染めず、生理的に受け付けない。
はなしが迷子になって・・・、かつての思い入れが強かったぶん、横道に逸れてどこまで行くのか抑えが効かなくなってきて、いくら勝手な独り言といっても許されないので、しり切れトンボになってますが、症例検討会のことは省略して、このへんで終わりにします。
ところで、超アナログ人間なので、ケイタイで撮った記念館の写真がいろいろやってもうまく取り込めません、だれかに教わっていづれ差し換えます。
2007年 6月某日
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*追記・・・遅ればせながら、教わってやっと画像掲載できました。 単純なので、うまくいくとアナログ族から進化したような錯覚に・・・。
その@の写真は、庭から望めるサンルームを備えた書斎。 なお机面は、 L 形になっています。 そのAのは、草木のおい茂る庭の、そま道のような小径を進むと、その先にみえてくるガラスばりの記念館。 左手に沿って進むとその奥が入り口。
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| ◇司馬遼太郎記念館 その@ |
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先日、大阪の症例検討会に行ってきました。
午前中サボって、司馬遼太郎記念館に寄るのは予定のうちで、 近鉄鶴橋で奈良線に乗り換え、5つめの八戸ノ里駅から歩いて7〜8分の記念館は、わかり難いところですが、要所にさりげない案内があって、初めてでもわりと、迷わずにたどり着けます。
・・・学生時代は、眉間にしわ寄せて難解な本を求めては挫折し、読破したはずのものも、半分も理解してなかったりでした。 楽しんで読んだのは松本清張やエラリークィーンなど推理小説で、司馬作品は史実に正確でない娯楽小説と決めつけて読まず、短編集を初めて読んだのは、30を過ぎてからで、その後しばらくの間ハマリました。
東大阪のそのあたりは、ディープな大阪を想像していましたが、高級ではないけれど閑静な住宅街で、看板の目立たないそこに着いたときには、開館前にかかわらず、すでに数組のグループがたむろしていました。
・・・川本三郎が、”大人が嗜みとして読むべき作家”として、「一平二太郎」(藤沢周平、司馬遼太郎、池波正太郎)を挙げていましたが、時代小説を指していうなら、誰か欠けてるような・・・? 好んで集中した作家たちから、勝手に”大人が嗜みとして・・”を挙げるなら、「一平二太郎、三四がなくて周五郎」。
開館して数組をやり過ごし、さらに間をおいて入ると、そこは司馬さんちの庭なのですが、わきに入場券の自販機があって、場にそぐわない感じです。 後で、財団化した記念館で働いているのは少人数で、求められて入り口付近や庭で説明している人たちが、ボランティアであることを知って、あえて販売の小屋をつくるくらいならと、なにごとも合理的な大阪らしさに納得しました。
・・・多くの作品を残している作家の場合、まず短編集を読んで、自分にとって好ましいか探りを入れます。 司馬作品を読みはじめて感じたのは、意識的にひらがなを多用して、平明な描写で、堅くるしくなりがちな歴史モノを読みやすくしている点でした。 「余談ですが、・・」など、関係者のエピソードをいれて読者を引き込むすべは、 「お客はんに楽しんでもらいまっせ。」、豊富な情報をもつ司馬の、 長編モノに読者を飽きさせない、大阪人らしいサービス精神なのでしょう。
下世話ですが、外からだと大きくは見えないけれど、司馬さんちはゆうに6〜700坪ほどはあるようで、 入ったところのヤマモミジが、葉の付け根に竹とんぼのハネを小さくしたような種子をつけています、 間をおいてひび割れた幹とギザギザの新葉の茂るクヌギが数本あり、下にはツツジなどが植えられていて、ほかにもクスやシイ、ヤマモモなども育ちうっそうとしていて、案内もなく、どこが自宅か記念館かわかりません。
・・・執筆にあたっての綿密な取材や膨大な資料の収集は、例えば司馬がある人物について調べものをしようとすると、神田の古書店街からその人物に関するあらゆる資料や書籍が忽然と消えて、司馬さんちに持ち込まれる、というのは有名でした。 余人のできることではないが、ぼう大な書籍、資料を読み込んで構想を練る時、主人公をまる裸にして、本人さえ気づかなかった人間性をも知って、司馬は主人公やそれにかかわった人や時代を俯瞰して、余裕をもって作品を仕上げることができたのでしょう。
そま道のようなのを道なりに進むと、自宅の書斎が見えてきて、ガラス越しに机とその向こうにすわり心地のよさそうな椅子があって、目をあげれば、今の私と反対側の視線で庭を見わたせる格好で執筆していたのでしょう、生前のままにしてある様子です。
小径が二またに分かれた辺りは、新葉をつけたケヤキ、大ぶりな葉をもつタイサンボク、葉が反りかえったスダジイ、葉のうえに白い四弁の花を載せたヤマボウシ、ビワはすでに実をつけ、エゴやトチ、シャリンバイも丈高くなっていて、木々の周囲はアオキ、サツキ、笹、ヒイラギ、ナンテン、プリペットなどの低木も配され、そして随所にムラサキソウやフッキソウやツワブキのほか、名を知らない柔らかい葉の草々があって、あちらこちらで濃厚なにおいを放っています。 手入れはされているし、木漏れ日もいくらか射しこんでいますが、全体にうっそうとした林になっていて、小径のさきに目を凝らすと、日のあたって明るくなった辺りに、記念館らしきものが見え隠れしています。 くだくだしく書いたのは、それらの草木は司馬が庭を自然な雑木林にしたくて、好んで求めて植えたものらしいからです。
・・・・ふーっ、ここまで書いても、なかなか記念館にたどり着けず、シンドクなってきました。 読んでいる方は、読みにくくて、もっと疲れてることと、お察しします。 ・・・少し休んで、ここまでを"その@”として後日、続きを”そのA”に書くことにします。
2007年 6月某日
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| ◇「雑草という名の草はない」 |
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「雑草という名の草はない。」
昭和天皇の、お人柄がしのばれるお言葉です。
道わきの青草の様子で、季節の移り変わりを感じます。
お犬様といつも同じコースを辿っていても、草木は同じではなく、芽吹くもの、開花するもの、しおれるもの、土の上に若葉をのぞかせるものなど、日ごと何かしらの変化を見せます。
雑草たちは、農作物の生育にさし障りのあるものは、駆除されるし、庭の花に寄りそえば、二クニクしげに除かれます。
人間に虐げられてきた雑草たちは、長い間に、軽く丈夫な種子をもつようになり、風や水や鳥によって遠くに運んでもらい、さらに旺盛な繁殖力など、子孫を残すためのいろいろな戦略的な力を、身につけていったのでしょう。
巨人、大鵬はもとよりアンチで、野球でいえば華やかなセリーグより、テレビ中継はほとんどなく、スポーツ紙の一面を飾ることもなく、観客スタンドもガラガラのパリーグのチームの味方です。
桜やきれいな花を見るのも嫌いではないけれど、同じプロ野球なのに、同じ植物なのに、人々のその扱いの違いは何なのだ! 一生懸命やってるじゃないか!と云いたくなるのです。 (人の場合にも当てはまりますが)
誰も水などくれないけれど、世話もしてもらえないけれど、花をつけても「まぁ、きれい」などと言われることもないけれど、それでもたくましく、けなげに、ずうずうしく、ひっそりとそこにいる雑草たちが、気になるのです。 おもわず知らず、応援したくなる雑草もあるのです。
一貫していないのは、 そういう私も、家のシシトウやトマトの苗の辺りにはびこる雑草は引っこぬきます。 「ここは、おまえたちの来るところじゃないんだよ」
* 写真は、お犬様お気に入りの、無人の倉庫脇の雑草たちですが、画素数の荒い古いデジカメなので、識別不能になってます。
下のほうの薄茶色のぽつぽつあるのは枯れたナズナで、隣のホトケノザと共に土に帰ろうとしています。 左の細長く、丈高いのはカラスムギで、収穫期の稲のようにもう穂を垂れています。 右の黄色い花は、茎を不規則にくねくねさせ、ギザギザの葉を持つボロギクで、その奥の緑色のセイタカアワダチソウが育ち盛りです。 よく見えないけれど、このひと塊の中に、柔らかな穂をもつスズメノカタビラや、しっかり根を張ったオヒシバや、カラスノエンドウがつるを延ばしているのも観察でき、それぞれがナワバリを競っています。
2007年 5月某日
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| ◇ありがとう 植木等さん |
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ありがとう 植木等さん 子供の頃から、歌手でコメディアンで、晩年は俳優として、いい味をだしていた植木さんのファンでした。
子供にとって、大人は世の中のことなんでも知っている立派な存在でした。 そうでない大人がいることも、承知はしていましたが。
その頃のコメディアンの代表は、エノケン、金語楼、若手の藤山寛美・・・等で、白黒テレビの画面には、始めからお笑いのプロに徹した表情、出で立ちでの登場でした。(年齢が解ってしまうけど)
ところが植木さんは、当時のサラリーマンや校長先生がそうであったように、一見まじめなスーツ姿ながら、そういう格好の大人が、まずは言わないような冗談を連発して、「わっはっはっ!」と、画面からはみ出そうな、破天荒な笑い顔を振りまくのでした。 そのギャップに圧倒されて、既成のコメディアンにないものを感じたものでした。(ステテコ、チョビひげ姿もまた面白かったですが)
それとクレージーキャッツが、ジャズバンドとして十分にプロで、植木さんがお寺の息子さんで、学校の先生らと同じように大学も出ている、という情報を持っていて、田舎の子供からすると、そういった経歴の教養人が、コメディアンを演じているところに、大げさに言えば、植木さんの奥深いところにあるものに、訳分からないながら、ある種の畏敬の念さえ持っていました。
「ちょいと一杯のつもりで飲んで」とか、「わかっちゃいるけど止められない」などの青島幸男のフレーズも、植木さんが歌えば効果倍増で、酒の味も知らない子供ながらも、友人らと声を張り上げて歌ったことが思いだされます。
また友人とけんかしたり、先生にしかられて落ち込んでても、植木さんなら「クヨクヨすんなよ!わっはっはっはっ!」と、豪快に笑い飛ばして、気分の切り替えをさせてくれそうでした。
遠い記憶の中に、勝手に美化している部分もあるでしょうが、 感謝するのは、なんでも素直に吸収することのできた子供の頃に、当時の大人向けのお笑いの、節度あるもの、エスプリの効いたセンスを感じさせるものに、接することができたことです。
後年の弟分のドリフやそれ以後の、 ”笑い”を取れるなら何でもありの、節操や品のないもの、楽屋落ち、出演者や客をいじる笑いには、芸のなさを感じ、違和感や嫌悪感さえ覚えて、素直に笑えないのは、自分が年取ったせいなのでしょう。
「学校でてから10余年、今じゃ・・・」、「・・・・ハイそれまで〜よ」、「サラリーマンは〜気楽な稼業と〜きたもんだ・・」、「ってなこと言われてその気になって・・・」・・・。
語ればきりがありません、数々の思い出を残してくれた植木さんに、改めて感謝をしつつ、ご冥福を祈って、今日の独り言を終わりたいと思います。
合掌。
2007、4月某日
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| ◇A君のこと |
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先日、うれしいことがありました。
口臭で悩んでいたA君がニコニコして、お母さんと国立大学合格の報告、お礼にみえました。 かえって恐縮しました。
遠方から、お母さんの運転で、高3のA君が初めて「口臭外来」に来院したのは、一昨年の11月でした。 口臭の悩みで、「歯科、内科、耳鼻科、精神科を何軒も受診したが解決せず、口臭のせいで友人らと話せず、試験会場でも周りに迷惑をかけるんじゃないかと、気になって勉強に集中できない。」という訴えでした。
遠方からの通院だし、表情も暗く、受験が迫っており、こちらも焦りました。 なんとか3回の通院で、口臭は改善し、「もう大丈夫です。」と、表情も明るくなりましたが、受験は失敗でした。
数ヵ月後、お母さんから「名古屋の予備校に通い、友人もでき、勉強に集中できてたが・・・・今度は、模擬試験のたびに、答案用紙がびっしょりになるほどの、多汗と体臭に悩み、数軒の医院にかかったが解決しない。」という相談が寄せられました。 予備校から通院しやすいようにと、名古屋の某クリニックに、口臭治療の経過資料を添えて紹介状を送り、そこでの治療が功を奏してか、悩みも無事解決し、今回のうれしい報告となりました。
当たり前ですが、口臭解決時より、さらに晴ればれとした表情のA君に、スタッフらもびっくり、どんな治療より大学の合格が一番の特効薬のようでした。 後日A君に「大学浪人は人生での貴重な経験だったし、合格で自信も持てただろうが、自分だけの力ではないので、協力してくれた両親への感謝の気持ちを忘れないように。」と、お説教じみたことを伝えたのは、私自身への自戒の念を込めてのものでした。
「口臭外来」には、さまざまな訴えを持つ患者さんがみえます。 なかでも小、中、高校時代より悩み、誰にも相談できず、長く引きずっている方が多く、口臭が気になって、人とうまく交流ができず、不登校になったり、会社勤めが続けられない、彼や彼女ができないなど、さまざまな悩みを訴えられる方が少なくありません。
A君は比較的早く解決できましたが、悩み歴の長い人ほど、心の傷が深く、口臭が治っても、対人関係などに自信が持てず、立ち直りに時間がかかることがあります。
取り組みは早いほうがよく、一人で悩まないで、まず家族などに相談し、近隣の歯科や医院を受診されることをお勧めします。 それでも解決しなかったら、当院でもお引き受けします。 A君だけでなく、口臭が解決しても、患者さんを見捨てることはありません。 悩みがあればいつでもフォローしていきます。
2007,4月某日
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| ◇つれづれ独言 |
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歯ブラシ 除菌スプレー・・・・パワークリーン(ブリッジメディカル)について
・効能 <歯ブラシの除菌><体臭の消臭><衣類の消臭、抗菌、 静電気防止><ペットやトイレの除菌、消臭><水回りのぬめりの抗菌> :スプレー式で、ボトルに水道水を入れるだけで使える、なくなったら水を足し、 約一年間、繰り返し使える。 安全な成分なので、目や口に入っても、人体に影響はない。 \5,040(税込み)
− 実験で、ゼオライト銀(銀イオン、亜鉛イオン)が、大腸菌を死滅させたり (除菌、抗菌)、アンモニア、硫化水素などの悪臭成分を、95%以上除去させた(消臭)というデータが報告されています。 使用感・・・銀イオンに、消臭、除菌効果があるのは、”資生堂”でも「Agプラス」という製品で、実証しています。 「Agプラス」の銀イオンが、オヤジ臭さ(ノネナールという物質で、40才くらいから輩出される)をカットするのに効果がある(ノネナールを除菌、結果として消臭)、としています。
スタッフらの使用感は、抗菌効果は判別するすべがないが、スプレーした歯ブラシ、衣類と、しなかったそれらを比較すると、いくらか消臭効果が確認できた. 消臭効果があるということは、除菌できた証しでしょう。 スプレーして30分後くらいから、効果を発揮するそうです。
ただ一般的な消臭、除菌剤は、香料など水に溶けにくい成分が入っているので、溶媒としてアルコールを使用するものが多く、使用後アルコールが揮発するのでさっぱりするのに比べ、パワークリーンは、溶媒として水を使用する為、アイロンがけの水噴霧と同じで、スプレーし過ぎると、すぐには揮発せず少しべたつく。 軽くシュッシュッと、やるのが良いようです。 お犬様にも試してみて、霧雨のような冷たさに迷惑そうで、そのまま全身にスプレーすると、風邪ひきそうでやめましたが、消臭効果は完全ではないものの、軽減するのが確認できました。 シュッシュッとして、かるくブラッシングするのがいいようで、無香料なのもよい感じです。
銀は、食品添加物に認可されている安全な物質で、人体には影響はないようです。 当院でも販売しますが、使用に当たっては、あくまで自己責任でお願いいたします。
2007,3月某日
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| ◇つれづれ独言 |
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朝、日の出頃、犬の散歩のお供をします。 火バサミ(犬の○○の処理)とトイレットペーパーを詰めたレジ袋を提げて、 お犬様の気のむくまま。
冬の朝は、防寒着に身をかため、氷点下の寒さに気合を入れて家を出ます。 明け方の澄んだ空気、凛とした寒さは、嫌いではありません。 おもわず背筋がシャキッとなります。 暖冬で、今年の冬はいけません。 中途半端な寒さに拍子抜けで、背筋も伸びず、季節のけじめがつかない感じです。
冬の季節のけじめのつかないまま、この頃は、散歩途中にコンビナートあたりから射すその日初めての陽は暖かく、もう十分に春の気配です。
2007,3月某日
* 勝手なことを書いて、初めてこのページを埋めてみました。 次回は、新製品の歯ブラシの除菌スプレーを紹介する予定です。 毎年、多くの歯科用の新製品が出ますが、メーカーのうたい文句に乗せら れて患者さんに勧めたのに、効果がいまいちというケースもあります。 現在、スタッフらとその効果を実験、体験中です。
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